コラム:「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」の新解釈がだいぶ水平思考的だった件
おはこんばちは。緋色です(๑´ㅂ`๑)
昨日妹とお話ししてる時に、
妹から冗談でほっぺを叩かれたので、
「右頬を打たれたら、左頬も向けなきゃね」
と言ったら、
『なにそれ』とのことでした。
「聖書であるじゃん」
『知らん、どういう意味?』
…どういう意味?
確かにどういう意味か知らずにいたなぁ。
これが無知の知。また真理に一歩、近づいてしまった…。
妹には適当に、
「多分、やり返すな的な感じじゃない?」と言っておいたんですけど、後からモヤモヤ、モヤモヤ。。。
というわけで、少しGoogle先生で調べました。
ピコピコピコ。
面白い解釈が本当にたくさん出てきました。
ふむふむ、1番ポピュラーな解釈は私の言ったように「やり返すな」というものみたいですね。
おっ、これ面白い。へぇー👀
…というわけで、
私がなるほどね、となった解釈を1つ紹介します。
そのまえにまず、右の頬をうんぬんかん、
倫理の教科書でしか見たことなかったので、すこーしおさらいしたいと思います。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
これは新約聖書『マタイによる福音書』第5章でのイエスの言葉です。一般的には、「汝の敵を愛せ」と同じく、敵を許して仕返しをしてはならない、という教えとされています。
無償の愛を説くキリスト教が、「慈悲と許しの宗教」であるということを象徴する言葉でもあるそうです。
ほうほう。なるほどね。
面白い気づき、新解釈はここから。
(トカナ2015年1月21日より)
ほとんどの人の利き手は右手ですよね。
右利きの相手から殴られたら、あなたはどちらの頬を打たれることになりますか?
そう、殴られるのは左頬です。
しかし、聖書の人物は右の頬を打たれていますね。では、右手で相手の右頬を打つためにはどうすればいいのか?
最も簡単なのは、手の甲で相手のことを叩くという方法です。
聖書のこの時代、
卑しい者を手のひらで叩くと身が汚れるという考えが一般的で、身分の高いものが低いものを叩く際には、手の甲で相手のことを叩くのが普通だったようなのです。
この前提知識を手に入れると、より詳しく絵が見えてきます。
「右頬を打たれた」人物は身分の低いものであり、主人からこの暴力を受けたということがわかりました。
これを考えると、左の頬を向けるのは本当に「許し」の行為であったのか?という疑問が生まれます。
主人に叩かれることは日常で、さらに言えば、許す許さないという問題にはならないのではないか?とも考えられます。
もちろん人類は皆平等という考えに立てば、許すという言葉もしっくり来ますが、うーん何だか不自然な気もします。
そう、ここからが新解釈。
ここでさらに深く考えてみましょう。
相手の左の頬を右手で叩くためにはどうすればいいでしょうか?
答えは簡単です。普通に、手のひらで頬を打てばいいんです。
今普通に、と言いましたが、
この時代の一般的な考えで言えば、手のひらで相手を叩く行為は身分が対等な者同士であるということを示します。
つまり、右頬を打たれた後左頬を向ける行為は、暴力を伴わない主人への反逆なのです。
暴力を用いずに、これほどまでに主人に屈辱を与える行為がありましょうか?
これは、平和的な戦い方、なのです。
…
こ、こんな面白い解釈があるなんて、、、。
めっちゃ水平思考を感じる。。。
謎解きでもめっちゃ使えるんですよね、水平思考。最近ツイッター始めてから、ラテシン時代の皆さんと繋がり始めてて嬉しいッ!
…そういえばこれは余談なんですけど、
イエスは左利きだったようですね。
♫